「そんな勉強の仕方では・・・」

そんな勉強の方法では、君の実力はさほど上がらない

 さて今日は、最も大切な「学習のなかの核心部分」についてお話したいと思います。
 日頃より気に掛かるといいますか、指導したあとに、釈然としない、不透明なものが残っていることがあります。それは、生徒はホントにわかったのかな?という疑問と不安、そして不足感です。以前ある本の中に、次のような言葉がありました。
 ― ― 「知ろうとしている者がいう、「知らぬ」、と、「知ろうとしていない者がいう、知らぬ」、とは違う。

知る

 私たちは、「知らない」から「教える」わけですが、その「知らない」の姿勢に流れている空気は、「わかることはわかる、わからないことはわからない」という、いたってシンプルなもので、わからないことをなんとしてもわかろうとする意欲と熱意が伝わってくることが、成績の良し悪しに関係なくあまり感じることができないのが現在の生徒の一つの特徴、共通項といえるでしょう。またさらに、知ろうとしていない姿勢の生徒の数が以前より増加してきたことは、情けないの一語です。
 自分はこう考えています。「知る」と「わかる」は違いますよね。「知る」は、「わかる」より意思が強い、能動的な言葉です。反対に、その否定語となる「知らない」と「わからない」では、「わからない」のほうが意思が働いており、「知らない」のその場に止まっている言葉より動いている。つまり、「知る」の絶対値は、「わかる」より大きい。イメージとして数直線的に書くとこんな感じです。
 「知らない」―「わからない」― 0 ―「わかる」―「知る」

 教えるとは、「知らない」ことを「わかる」まで導くことであり、「知る」は、本人でしか獲得できない領域だということ。ものごとを「知れば」、忘れることはまずないし、他に当てはめることもできる。しかし、その手前の「わかる」は、時間が経てばかなり忘れるし、他への応用はもちろん利かない。
「わかる」から「知る」のその間の行程は、本人が歩むものであり、他人の預かり知らぬ領域なんだということ。これが学習の核心部分でしょう。それをどう埋めるかは、あくまで当人次第だと思います。


  ―――「知らない」―「わからない」― 0 ―「わかる」 わかっても、ほんとうにはわかっていない。なぜなら、そのあとの、「知る」がないから。自分の頭と言葉で考えていないからです。それをするには、「復習」でしょう?! そこでもう一度自分ひとりで考え、整理し、ポイントを掴まなければ、他に活用できないではないか。他に活用できる力が、「知る」ことの本当の姿ではないのか?! 

復習しなければ、「知ろうとしていない」のと同じ土俵にいる、ということ。そのことに気付いている生徒は、昨今非常に稀だといえる。気付かそうと、どれだけ言葉を吐いても、何度この「復習」の大切さを説いても、残念ながらその意味がわからない生徒にはわからないように思える。ただ目の前にある課題や宿題をこなすことが勉強だと思っている。故に、その勉強の姿勢と質は浅い。浅くて、実力はつくはずもではないでしょう

わかろうとする気迫と熱意をもって、この「わかる」から「知る」の道程を確実に歩んでほしいものです。「復習」!